《賛否両論あると思いますが、報道されていることだけが真実ではないし、小室家流の子育てに共感することもあると思います》 《子どもの幸せと健康を祈っている私たちと同じ普通のお母さん》 こんな感想や意見が見られるのが、秋篠宮家長女、眞子さんと結婚した小室圭さんの母、佳代さんの自伝本のレビューだ。 今月6日、佳代さんが出版した「ブランニューデイ あたらしい日」(内外出版社)には、自身がこれまで歩んできた人生、圭さんの子育てに向き合う様子のほか、栄養士の資格を持ちドイツ料理店で腕を磨いた料理などについて綴られている。 佳代さんの人生に大きな変化が訪れたのは、2017年のこと。圭さんと眞子さんの婚約が内定するも、2018年に結婚延期が発表される。その原因とされたのが、佳代さんの金銭トラブルだ。 「元婚約者との金銭トラブルが報じられた佳代さんと圭さん親子は、激しいバッシングにさらされました。2人の結婚に反対する声が日に日に大きくなり、結婚は21年に実現するも一切の儀式を行うことなく、眞子さんは降嫁されました。2人のニューヨーク生活は4年目に入り、騒動はほとぼりがさめたかに思われましたが、佳代さんの出版で両家の溝が一層深まる事態になっています」(皇室ジャーナリスト) ■眞子さんのことを「大尊敬している」と語っていたが… 著書では、元婚約者との金銭トラブルについて一切触れられていないが、バッシング騒動について佳代さんは次のように記している。 《メディアでは相変わらず、「ふさわしくない」と私は言われ続け、やがてそれは「人格否定」の域に達します》 また、佳代さんは眞子さんのことを「彼女」「息子の配偶者」と書き記しているが、これには既視感があるという。 「佳代さんは今回の著書で眞子さんを名前で呼ぶことはありませんでしたが、2人が結婚した21年の誕生日会見でも、秋篠宮さまが圭さんのことを『夫の方』『娘の夫』と呼ばれたことが大きく取り上げられました。このとき、秋篠宮さまが圭さんに嫌悪感を示されたと報道されましたが、かつて眞子さんのことを『大尊敬している』と告白していた佳代さんの心境にも変化が見られます。さらに、噂されているニューヨークへの移住もきっぱり否定しています」(女性週刊誌記者) 弟の悠仁さまの成年式が9月6日のお誕生日に行われることになり、眞子さんの結婚以来の帰国がささやかれている。深まった溝が埋められる日は訪れるのか。 小室佳代さんの自伝出版に宮内庁の反応は……
言われてうれしかった言葉は「本当によくここまで来たね」 言われてうれしかった言葉は「本当によくここまで来たね」 タレントの梅宮アンナが1日、都内で行われたイベント「BeMe 私らしく~ご自愛市spring~」(3月1、2日開催)のスペシャルトークセッションに出席した。がん闘病中の周囲の反応などについて語った。 昨年8月に「浸潤性小葉がん」に罹患(りかん)したことを公表し、目下治療中である梅宮。がん闘病中の周囲の反応について「100人いたら100人リアクションが違う。皆、何かを言わないといけないと思う。その何かが、『大丈夫だよ』という言葉とともに勇気づけてあげられるから、『大丈夫だよ』と言う人がほとんどだと思う。『大丈夫だよ、アンナちゃん、がんなんてすぐ治る時代だから!』と良かれと思って言ってくれる方がけっこう多かったですね。勇気づけるために言ってるのも分かるけど、すごい戸惑う」と回顧。 当時を振り返って「言われたときに、『なんでこんなに違和感があるんだろう?』とすごい思った。『ありがとう』と素直に言えなかったんですよね。がんは、『簡単に治る病気ではない』というのが頭にもあったので」と話し、「『うちのお母さんがそうだったから』とか『うちの妹がそうだったから』とか言われたんですけど、ん~、皆、スタートポイントが違う。治療がすごい長いから、じゃあ何を言われてうれしかったかというと、『そっか~。がんばろうね! 治療がんばって、治るといいね!』とか。『大丈夫』という言葉が違和感あった」と胸中を吐露した。 また、最近言われてうれしかった言葉は「『本当によくここまで来たね』という風に言ってくれるのが(うれしい)」。続けて「抗がん剤治療期間は早いと思わなかった。『よくがんばったね』と言われるのがすごいうれしい」とほほ笑んだ。 同イベントの主催は、主婦の友社および毎日新聞社。
2000年代に多彩なジャンプと高速ドーナツスピンを武器に、フィギュアスケートのトップ選手として活躍した中野友加里さん(39)。現在は2児の母として子育てをしながら、フィギュアスケートの解説や審判、講演などの活動を行っています。中野さんは早稲田大学大学院を修了した10年に競技も引退し、フジテレビに就職したことでも話題になりました。競技と学業の両立、フジテレビ時代の苦労や思い出などを聞きました。 「みどりさんのようにジャンプを跳びたい、みどりさんのようにオリンピックに行きたい、とずっと思っていました」 愛知県出身の中野友加里さんは、兄がアイスホッケー、姉がフィギュアスケートをやっていた影響もあり、3歳のときからスケートを始めた。6歳のときに山田満知子コーチ率いるグランプリ東海クラブに入り、本格的に競技に取り組んだ。 そんな中野さんの大きな目標となったのは、伊藤みどりさんの存在だ。伊藤さんは中野さんがまさにスケートを本格的に始めたころ、1992年のアルベールビル五輪でトリプルアクセルを跳んで銀メダルを獲得。その彼女が同じリンクで練習していた。 中野さんが最も注目された2000年代は、女子フィギュア人気が一気に盛り上がった。上の世代は荒川静香、村主章枝、同世代には鈴木明子、安藤美姫、下の世代には浅田真央と、スター選手が次々に現れた。中野さんもシニア1年目の02-03シーズンにスケートアメリカでトリプルアクセルを着氷。国際スケート連盟(ISU)公認では女子として伊藤みどり、トーニャ・ハーディングに次ぐ3人目の快挙だった。女子フィギュアブームの渦中にいた中野さんは、そのフィーバーぶりをどう見ていたのか。 「マイナースポーツがメジャースポーツに駆け上がることは、時代の中でそうあることではありません。そんな中でスケートができた、ということはすごい幸せなことだったなと思います。真央ちゃんや美姫(ちゃん)への注目度がすごかったですが、3人目でもいいから注目されているということは、力になりました。彼女たちがいたからこそ私も頑張れたなと思います」