那須川天心 vs モロニー!運命の一戦に挑む34歳・モロニーの決意とは?過去の敗北が挑戦を加速させる!

2月24日、有明アリーナで那須川天心と対戦するジェーソン・モロニー(34歳) photograph by Hiroaki Yamaguchi “崖っぷちの戦い”――2月24日に有明アリーナで行われるバンタム級10回戦は、那須川天心にとっては初のテストマッチでも、対戦相手のジェーソン・モロニーにとっては絶対に負けられない正真正銘の“マストウィン・ファイト”なのだろう。 2023年5月にWBO世界バンタム級王者になって悲願を達成したモロニーだったが、昨年5月、2度目の防衛戦で武居由樹に判定負けで王座陥落。ここで売り出し中の那須川にも敗れれば、その評価と商品価値に大打撃は必至だからだ。 「この試合は私のキャリアで最も重要な試合です。2連敗はできません。もちろん才能ある選手と敵地で戦うわけだから、リスクはあります。ただ、私はまだ向上しており、再び王者になるためのものは備えていると思っています」とモロニーは語った。 「彼らの選択が間違っていたと証明する」 一度でも世界王者になれば、一生“チャンピオン”と称すことが許されるのがボクシングの世界。それでも再度の世界タイトル挑戦と高額収入を得るチャンスがある時間はごく限られていることを、オーストラリア、アメリカ、日本、カナダと世界各国で戦い続けてきたモロニーはもちろん熟知している。叩き上げの前王者がこれほどの覚悟で臨んでくるのだから、ボクシング転向以来5戦全勝(2KO)と勢いをつける那須川にとっても楽な試合にはならないはずだ。 「那須川陣営がステップアップの相手としてが私を選んだ理由は、まずは私が前世界王者であること。もう一つは、前戦の武居戦で私がそれほどいい戦いができなかったことなのでしょう。武居戦での自分の戦いには自分自身が落胆させられましたが、すべてのことには理由があって起きる。私を選んでくれたことに感謝もしています。私の今回の仕事は彼らの選択が間違っていたと証明することです」とモロニーは続けた。 34歳になった現在に至るまで27勝(19KO)3敗。モロニーは強豪と戦い続け、時に敗戦も味わいながら、真の意味で世界レベルのボクサーとしての評価を確立するに至った。そんな好漢にも決して忘られない試合がある。2020年10月31日、ラスベガスでのMGMグランドで行った井上尚弥戦である。 当時バンタム級で無敵を誇っていた井上との対戦では2度のダウンを奪われ、7回KOでの完敗だった。モロニーもオールラウンドな選手だが、世界最高級の実力を持つ“モンスター”とはレベルが違った。ただ、そんな悔しい負けの後でも、意気消沈したわけではない。「パウンド・フォー・パウンド(PFP)・ランキングでも最強と思える選手との対戦は貴重な経験でした」と目を輝かせて振り返る。 「井上に関して最も印象に残っているのは、スピードに裏打ちされた爆発力です。ダメージを与えられたパンチは私には見えないパンチでした。ボクサーなら誰もが理解していることですが、“最も効くパンチ”とは“見えないパンチ”。井上はスピード、爆発力に定評がある選手ですが、効かされたパンチの威力は私の想定以上であり、驚かされたといって良いでしょう」とモロニーは述べた。 井上へのKO負け後には勢いがなくなるボクサーも少なくないが、モロニーの「井上戦があるから今がある」という言葉は誇張ではない。

プロ野球界の激震!上沢選手の移籍問題に選手会が立ち上がる理由とは?影響力ある発言が引き起こす誹謗中傷問題の真相を徹底解説!

日本野球機構(NPB)と日本プロ野球選手会の事務折衝が20日、沖縄県那覇市内で行われ、選手会がNPBに異例の要望を出した。ポスティングシステムで米大リーグに移籍した選手が復帰するケースで、プロ野球関係者が選手の選択を批判する言動を控えるよう依頼。選手会の森忠仁事務局長は「影響力のある人の発言で誹謗(ひぼう)中傷につながる」と警鐘を鳴らした。 ルールに則した行為に対する批判を、選手会が看過することはできなかった。NPBとの事務折衝を終えた森事務局長は「上沢問題」について強い口調で要望を明かした。「影響力のある人が発言することで、拡散されて誹謗(ひぼう)中傷につながる」。問題を提起した上で自粛を求めた。 23年オフに上沢が、日本ハムからポスティングシステムで米大リーグに移籍したが、1年で挑戦を断念しソフトバンクと4年契約を結んだ。これに対して新庄監督が1月8日に「育て方が違った。悲しい」と発言。同20日は12球団監督会議でも「違うものは違う」など、道義上の問題を指摘した。 球界関係者の間で賛否の声が上がり、SNS上でも批判の声が噴出。選手会に再入会した上沢とも連絡を取り合い、ケアや今後の対応について協議してきた。森事務局長は「制度上、違反をして戻ってきてはいない」とした上で「(広島・会沢)会長もかなり心配している。あの発言が出た時になぜ、問題ない行動だと選手をかばってくれなかったのか」と訴えた。 日本ハムとソフトバンクは開幕2カード目、エスコンフィールド北海道での2連戦が予定される。登板は未定だが、同一リーグだけに「この話が出ると、また火種がついて…というところがある」と危惧した。現行制度に変わる新たなルール整備も必要だが、SNSなどの誹謗中傷は球界全体で取り組みを行っている。今後の動向次第では、球界に対して発言自粛の声明を出す可能性もあるという。

ゴリが明かす!成功の裏に潜む芸能界の恐怖と心構えとは?再ブレイクの秘密がここに!

照屋年之(ガレッジセール・ゴリ) 撮影/冨田望 1995年にお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成してから30周年を数えるゴリには、2006年にスタートさせた映画監督としての顔もある。こちらも実にキャリア20年目。奥田瑛二を主演に迎えた長編『洗骨』(2019)では、第60回日本映画監督協会新人賞に輝くなど、国内外で高い評価を得てきた。あるときはお笑い芸人、あるときは才能豊かな映画監督。運動神経バツグンでキュートなゴリエちゃんも忘れちゃいけない。さまざまな顔を持つゴリさんのTHE CHANGEとは──。 「編集担当者に沖縄出身の子がいましたよね?」 取材にあたりこちらの出版社名を伝えると、すかさず沖縄出身の編集者の名前を挙げてきた、ガレッジセールのゴリこと照屋監督。いまも沖縄を舞台にした最新映画『かなさんどー』が公開になるところ。「なんかね、沖縄への愛が強すぎるんですよ」と優し気に笑う監督だが、浮き沈みの激しい芸能界にずっと身を置き、若いころは血気盛んだったと振り返る。 「とにかく売れることに必死でした。“目立たなきゃ消えてしまう”という怖さがあった。すごく売れていた人でも、いつの間にか見なくなっていくような様を、目の当たりにしていくわけですから。番組が減るのが怖かったし、実際、僕自身、いっぱい番組を抱えていた時期もあれば、番組が減っていく現実も味わってきました。そういった波を経験した結果、行きついた精神状況は“ダメなときはダメ”。そうした用意ができています。僕らのいるテレビの世界なんかは、自分が出たいからといって出られるものじゃなくて、呼ばれるものです。しがみついてもどうすることもできないし、そもそもしがみつくものじゃないとも思います」 だからこそ、大切にしている心がけがある。 「一つひとつの仕事を適当にしない。与えられた仕事で自分が何をすべきなのかを考えて大事にしていく。番組によってとか、こうしたインタビューによってとか、何を求められて、何を100%頑張ればいいのかということをやり続ければ、仕事も続いていく。それでももしダメになった場合は、違う道を進むしかない。まあ、これは、自分たちの仕事に限らずですよね。うちの親父を見てても思うことです」 照屋監督の父は、実際に人生の大きなチェンジをしていた。 「実はうちの親父は映画監督になりたかったんです。助監督までやったんですけど、あるとき自分には才能がないと気づいて、母と一緒に違うレールで生きていくと決めた。ベビー用品店を始めて、それが成功しまして、うちはある程度裕福でした。経済的にはうまくいった。そうやって親父の姿にも、もしダメになったら違うレールに行くしかないと教えられたところがあるので、僕にはそうした準備、心構えが常にあるんです」