24歳で「シャネルズ(のちの『ラッツ&スター』)」の一員としてメジャーデビューし、デビューシングルがミリオンセラーに。その数年後にはさん(享年70)に才能を見込まれ、バラエティ番組に出演。人気コメディアンとして多くのレギュラー番組やCMに出演してきた。あっという間にトップタレントになった氏(68)。
ところが━━2000年以降は状況が一変。2019年までに覚醒剤取締法違反などで5回の逮捕を経験し、直近では約2年の刑務所生活を終えて、2022年10月下旬に出所。2024年末に、ようやく地上波テレビ番組に復帰した田代氏だが、一体、何が生きづらく、覚醒剤などの薬物に手を染めてしまったのか。この夏、Amazonにて書籍『こころの処方箋』を出版する田代氏に話を聞いた。【全3回の第1回】
「才能」はない。努力し続けるのが辛くなった
──田代さんは生きづらさを感じたことがありますか。
最初に「生きづらさ」にぶつかったのは、初めて薬に手を出した時(2001年)です。
芸能界で、さんのような第一線で活躍している人たちと一緒にいて“売れる”のはある意味簡単だった。でも、ずっと売れ続けるのがすごく難しい。「ダジャレの帝王」と言われたりして、トップまで上り詰めると、今度はどうやってそれを維持していくのかという恐怖が出てきたんだ。いつまで毎日、面白いことを考え続けなきゃいけないんだろうか、明日も面白いことを考えられるんだろうか……。
一発で消える人たちがたくさんいる世界ですから。どんどん新しいものを生み出さないと生き残っていけないというプレッシャーが肩に重くのしかかり、ついに「俺はもう無理かもしれない」と思うようになった。
俺には持って生まれた才能はない。努力で頑張ってきたタイプ。何も生めず、努力し続けるのが辛くなって──そういう心が弱った時に「いいのありますよ」って声がかかってきたりするんだよ。
──ご自身に「才能」はないと思っていたんですか。
俺は、夜の仕事をしていた母の才能を受け継いだと思っているんだ。人を楽しませたいという気持ちがベースにあったのはラッキーだった。でも、売れるスピードが早かったから、あっという間に自分がすっからかんになった。
新たなものを吸収していかないと、何も出てこない。だから映画もすげえ見たし、いろんな本も読んだし、いろんな演芸も見た。それでも追いつかなくなってきて。
志村さんはものすごく勉強する人で、(学びと)並行して毎週新しいコントを作っていた。その姿を間近で見ていたからこそ、自分に対する絶望が頭をよぎるようになって……そういう意識が生まれた時が、薬に近づいた瞬間だった。
──志村さんから何か指摘されたことはなかった?
「お前はいつも100を出そうとしている。70の力でいいんだよ」って。「100を出そうとするから、周りが見えなくなる。70ぐらいの気持ちでやってると、周りがよく見えて、気がつくと100以上の力が出る時がある」というわけ。そう言っている志村さんは、俺から見ると100以上の力でやってるんだけどさ。いやいや、自分は100以上でやってるじゃないですかと思ったんだけどね。
自分には「弱い」部分があるという自覚
──薬に近づくまでに、体やメンタルに異変はなかったのでしょうか。
あったよ。胃潰瘍になって緊急入院したこともある。そもそも、俺は別に目は悪くないのにデビュー当時からサングラスかメガネ。主演映画でも外さない。素の瞳を見られるのが恥ずかしくて、どうしても照れがあって……俺の中には、そういう、どこか精神が弱い部分があるんだと思う。
──人前に出る仕事だけど、シャイな部分が。
俺、嫁の前でおならするのも嫌だったの。お袋が俺の前で絶対におならをしない人で、死ぬ間際に俺がお袋の背中をさすってあげていた時、腸の調子が良くなったのか、おならが出たんだよね。そんな時でも「ごめんね」って、お袋が俺に謝ってきた。その美学が俺のなかにも染み付いていて、俺もずっと家でおならしなかったんだけど、そうしたら腸閉塞になっちゃった。
そういう性格だから、努力してるのを見せたくないし、かといって、才能もないから何かに頼らなきゃという焦りがあったんだな、と今は思います。
もちろん、それを薬への理由にしたらダメ。それでも、この悩みが解消されるなら……という気持ちで手を出してしまい、それが依存症になっていくわけだけど。
さまざまに降りかかる「生きづらさ」
──それまではタバコとか?
タバコはガンガン吸ってた。中学生の頃には、意気がってシンナーも吸ってたよ。でも高校生になったら、いつまでもガキみたいに吸ってるのはカッコ悪いって、自然に卒業できたんだよ。シンナーが卒業できたという体験があったから、覚醒剤も卒業できると思ってたの。1回ぐらいだったら、と思ったのが命取りだった。
──1回じゃ済まなくなった。
説明しづらいんだけど、(薬をやると)体じゅうの産毛がすべて毛羽立つイメージ。覚醒剤というけど、本当に細胞が覚醒する感じがある。報酬効果っていうみたいなんだけど、感じたことのないこの「報酬」が脳に焼き付けられるんだよ。すると、もう一度報酬を得たい、もう一度……と報酬に対する渇望が出てくる。ここからはじまるのが負のスパイラル。
──ただ薬物に手を染めるきっかけは「ギャグが思いつかない」という悩みが根底にあったわけですよね。その「報酬」は、ギャグを作るという悩みとは関係なくないですか。
それが、不思議に思いつくんだな。俺は天才じゃないかと思えて、自分がスーパーマンにでもなった気持ちになる。
ただ、刑務所の中ではそれが一転、世間が全部敵に回ったように感じてね。
(当時の)嫁のお母さんから手紙が来て、「外に洗濯物が干せなくなりました」って書いてあったんだよ。野次馬からの批判がすごかったんだろうと思う。学校では子どもたちが過ごしにくくなって転校しなきゃいけなくなったとか、家も引っ越さなきゃいけなくなったとか、家族も生きづらくさせた。何億円という賠償金も払わなきゃいけない。ぜんぶを解決できる算段もないし、もう死ぬしかねえなって。
──それでも、生きようと思った理由は何でしたか。
夢に日傘をさして浴衣を着たお袋が出てきて、すごい笑顔で俺のことを見つめてたんだよ。何も言葉はなかったんだけど、それを見た時に、俺はもうちょっと生きなきゃと思った。
──でもまた捕まってしまいました。
依存症っていうのはコントロールできなくなること。毎回思うんだよ、もうやめようって。なのにまた薬を使うということは、自分がコントロールを喪失しているってことなんだよね。
手を出さないように、努力はするんだよ。薬物をすすめてくるような人との付き合いを絶つとか、そういうものがやり取りされているような場所に近寄らないとか。
だけど、一度事件を起こすと、どうしても生きづらくなってくる。元の通りに行かないからね。そうすると、向こうから寄ってくるんだよ。「大変でしょ、いいのあるよ」なんつって。
(第2回に続く)